外灘はのんびりと散歩をするようなつもりで歩き、上海の雰囲気を味わおう。 まず外白渡橋から黄浦江岸の遊歩道を歩いてみよう。
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外白渡橋 奥には上海大厦が見える |
◇外白渡橋 外白渡橋は1907年の完成で解放前はガーデンブリッジと呼ばれた。租界時代にはこの橋より北側は日本人居住が多かった場所で、この橋を北側から南側へ渡ると一気に欧米的雰囲気の広がる地域に変わったという。
橋の下を流れる川は数年前まで汚染河川として悪名高かった蘇州河である。上海市はこの川の浄化を進め現在ではかなり改善された。
この橋から北側を見て左手の茶色のビルは上海大厦(ホテル)で1934年に建てられた。解放前はブロードェイ・マンションと呼ばれイギリス人の管理職が居住していたという。 (関連記事:5星ホテルになった上海のシンボル「上海大厦」)
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青壁が美しいロシア総領事館 |
◇ロシア総領事館 右手(東側)の青い建物はロシア総領事館。解放前もロシアが総領事館として利用していた建物である。すこし見づらいが、ロシア総領事館のさらにむこうに赤い古くて立派な建物があるが、これは租界時代の旧日本総領事館。しかしこのあたり一帯は軍事施設で、そばまで行くことはできない(軍事施設なので写真を撮るのも控えた方がいいだろう)。
外灘の北端の黄浦江岸にある黄浦公園は、解放前はパブリックガーデンと呼ばれ、外国人専用であったという。
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青空にそびえる人民英雄記念碑 |
◇人民英雄記念碑 公園内に中華人民共和国建設に貢献した人々を讃える人民英雄記念碑がたつ。人民英雄記念碑の建設は上海市人民政府により中国解放1年後である1950年に既に決められていたが、建設はなかなか開始されなかった。1987年に上海市人民大会で建設着手が決定され、デザインの公募等を経て、1994年に落成をみた。
人民英雄記念碑の真下には外灘歴史記念館と外灘奇石博物館がある。外灘歴史記念館には外灘の古い写真などが展示されている。ただし、ときどき改装のためクローズされている(2010年5月現在も改装で閉鎖中)。
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外灘の遊歩道 |
◇外灘の遊歩道 ここから黄浦江沿いの遊歩道を南下しよう。外灘を南北に貫通する車道(中山東一路)は従来全11車線であったが、2010年3月に全4車線に変更され、それにより黄浦江沿いの遊歩道も大幅に拡張された。 (関連記事:新外灘がお目見え、クラシックとモダンの融合)。
陸側に並ぶ古いビルは租界時代の建築物で、外観は当時そのままの姿を保っている。
川は黄浦江と呼ばれ上海市の中心を北(後方)へ流れ、長江と合流する長さ84kmの川。黄浦江の両岸及び長江岸の外高橋保税区岸が上海港と呼ばれ、3万トン級の船が出入り可能な国際河川港である。
黄浦江の対岸には、浦東新区陸家嘴金融貿易開発区の高層ビル群と上海のシンボル東方明珠タワーが望める。
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陳毅上海初代市長の像 |
◇初代上海市長の像 南京路と交わるところには、上海市の初代市長である陳毅の銅像がたつ。 陳毅は1949年5月28日に上海市長に就任した。 彼は国民政府との内戦で混乱した経済の立て直し、貧困対策、伝染病の駆除等の社会問題の解決のため不眠不休で取り組み「人民の市長」として上海市民の大きな支持を得たという。
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租界時代には最上部に天候を示す旗が掲げられた |
◇外灘の信号塔 延安路と交わるところのそばに煙突のような塔があるが、この塔は租界時代にはマストのような部分に旗がつけられ、黄浦江を行き交う船に天候などの情報を伝える信号塔であった。最上部の十字部分に方位を英語でN・E・S・Wとせず、東・西・南・北と漢字で書いてあるところもおもしろい。この建築物の1階は数年前まで外灘史陳列室として利用されていたが、現在はバーATANUとなっている。1階部分には現在も古い外灘の写真が展示されており、2階は屋内のバー、さらに屋上が露天バーとなっている。
さらにもう少し南下したところに以前は延安高架路と歩道橋があったが外灘の建築群の景観を阻害するということで、外灘の再開発とともに撤去され現在は横断歩道で対岸に渡る。
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建物の中に入れば70年前にタイムスリップ |
◇外灘の歴史的建築群たち 中山東路の対岸に出たら今来た方向と逆に(北上)進もう。いくつかの建物は自由に入ることができる。ちょっと中を覗けば70年前にタイムスリップした気分になれる。
中山東路を北上していくと、途中福州路と交わる。今は特に特徴のない道だが、解放前は「スマロ(四馬路)」と呼ばれた。あの
「夢のスマロ」である。昔は香水の香りの漂う上海一の風俗ストリートであったという。
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