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上海のオールドホテルを巡る

正門
エントランスホール天井
入口

金門大酒店  PACIFIC HOTEL


 南京西路といってもほぼ人民広場の道路隔てて向かいに位置するこのホテルは、地下鉄人民広場の駅のすぐ前で非常に交通アクセスに恵まれている。もちろん歩行者街として名高い南京東路までも歩いていけるし、日本人にも人気が高いホテルだ。先のとがった時計台は遠くからでもすぐにそれと分かる。
  実は、この建物はもともと、華安大厦と呼ばれていた。1926年に竣工した8階建ての建物には1階、2階はオフィス、3階から8階までは華安飯店として120室のホテルとして使われた。(現在は163室)その当時まだすぐ近くの国際飯店(1934年竣工開業)が完成していなかったので、このエリアでは最も高いビルといわれた。
  この建物は、上海の保険業界の歴史と深い係わり合いがある。華安大厦と呼ばれたのも、華安合群人寿保険公司が投資を行ったからだ。上海での保険業界の歴史は古く、1846年にはイギリスによって永福保険公司が営業を始めている。ちなみに日本で損害保険業が横浜で始まったのは1859年だ。上海で中国人の手によっても保険会社が次々と設立されていくが、どれも経営がうまくいかず、その中でも独特の経営手腕で、規模を拡大していったのが華安合群人寿保険公司だった。 創設者の呂岳泉は1912年に外灘30号の教会を借りてオフィスを設置する。呂岳泉は英語も堪能で、他の保険会社からも英国人などを抜擢してくるなど、その経営力は今でも語り草になっている。外灘のオフィスが手狭になり、上海市内を幾度か引越しするが、1926年に、当時静安路といわれた南京西路の、有名な上海競馬場の向かいに今のビルを建設した。最も高いビルを目指したのも、そもそもは保険会社としての広告効果を狙ったからのようだ。呂岳泉の保険業は順調で、河北省・浙江省・福建省・江蘇省・安徽省・広東省・山東省・遼寧省・河南省など中国各地に進出していった。しかし1930年代に入って戦争の影が忍び寄ってくる。1932年におきた旧日本軍による上海事変などの影響で上海の経済は徐々に不景気になっていく。どん底になったとき、1939年に香港の華僑がこのビルを丸ごと借り上げ、名前も金門飯店になる。その当時の条件では、ホテル収入の30%を華安合群人寿保険公司に支払うというものだった。ただ、中華人民共和国成立後に起きた労使のトラブルで1950年には営業のストップを余儀なくされる。その後、一時華東紡績管理局が入るが、1958年には華僑飯店として復活する。いまの上海人の年配の人となると、華僑飯店といったほうが通じやすい場合もあるのはそのためだ。その当時は主に華僑の接待や宿泊に使われ、「華僑の家」という別称もあった。1992年に再び名称が金門大酒店に戻され、往年の輝きを取り戻すための復元工事も行われる。1989年9月25日には上海市文物保護単位に指定され、歴史的保存建築物として残されることになった。なお現在は屋上にさらに1階が増築され、9階建てになっているため、オリジナルとは少し様子が違う。
  この建築物は上から見れば、「エ」字になっていて、東西が張り出すようになっている。エントランスにある特徴的な円柱の柱は、パルテノン神殿でもおなじみのドーリア式。1階からホテルエントランスにかけての部分は花崗岩が使われている。時計台部分は時計を挟んで柱が2層に積み上げられていて特徴的。建物自体は新古典主義の様式に属するといわれている。階段を上って2階部分にあるロビーの天井はぜひ見ていただきたい。ちょっとレトロで落ち着いた感じがいい味を醸しだしている。

(山之内 淳



金門大酒店

南京南路108号【地図
TEL:(021)6327-1500
FAX:(021)6372-3634
日本語:通じない
チェックイン:12:00
チェックアウト:12:00
Master/VISA/AMEX/Diners Club/JCBカード使用可能

地下鉄1、2号線「人民広場駅」下車徒歩1分

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■関連コラム紹介
「上海の歴史を歩こうvol.4!!(後編)-
南京西路と人民広場周辺編-」(2001.11掲載)

 


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